マスクを自由にする会にかける想い

マスクを自由にする会、共同代表の長尾です。

本日は、当会をより詳しく、そして当会にまつわる誤解を払拭するために記事を書かせていただきます。では早速。


【3つの特徴】
①高校生のみで運営
②リアルで冷静な活動
③「陰謀論」ではなく、科学的に正しい知識と深い思考を基に行動、そして自分の想い


これらを丁寧に解説していきます。長文となりますが、どれも当会の核心を突く内容となっておりますので、ぜひ最後まで御覧ください。(特に③を読んでいただきたいです)


①高校生のみで運営

現在当会は高校生と中学生のみで運営しております。もちろん裏に組織はありませんし、資金援助があるわけでもありません。(どこかの党に利用されているわけでも補完勢力でもありません)本当に何もない普通の高校生が運営しているので、初めのほうはなかなか進まず、アンチにも攻撃されていました。(マスクを自由にする会から国民を守る会なんかもできてるとか(笑))躓くことも多いですが、高校生だからできないなどといった言い訳ではなく、できない中でやれることを見つけて日本社会を考えようというかなりアクティブな会です。

②リアルで冷静な活動

日本ではSNS等の匿名の環境が普及したせいか、過激で他人を攻撃するというケースがかなり多くなっています。しかし、この自己を肥大化させる状況は、中間組織を作りにくくし、民主主義を揺るがします。日本には奈良時代より以前から十七条憲法にも定められている通り、「和の精神」というものが存在します。私の浅い知識で解釈すると、和の精神というのは「無駄な戦いをせず、尊重しあう」だと思います。つまり歴史的に見てもSNSでの誹謗中傷が日本の精神と矛盾するかがわかります。ただ、「誹謗中傷はダメ」という無味乾燥としたメッセージを流すだけでは意味がありません。そんな道徳的な正しさは誰でも認識しています。だからこそ、我々が誹謗中傷せずに、声を上げるという活動をする意義があるのです。誹謗中傷なんてしなくても、訴えかけられるということが多くの人に周知できれば、誹謗中傷などという無益有害な行動をする人は減るでしょう。ですから当会は、何かもの申したいときは誹謗中傷ではなく批評をしています。誹謗中傷は、過激に自己の感情に訴えかける行為であり、他者が変化する余地はありません。一方、批評は、穏健的に他者の理性に訴えかける行為であるため、他者に変化の余地があります。従って、批評(穏健的なメッセージの発信)を行っているのです。哲学的に見ても、少数派が声を上げることは非常に重要だそうです。専門家ではないので深くはわかりかねますが、少数派が社会を変化させ、社会を守る、そして彼ら少数派がいなくなった瞬間に、社会は終わる、そうです。我々は少数派で、社会を変えられる力などはありません。親しい人からの変人扱いはいつも通り、科学的データや社会学的な知見も持ち合わせて発信していても「陰謀論」だといわれる日々、なかなか報われない行動、こんなのばかりです。しかし、ここで歩みを止めてしまっては、社会のためになるわけがありません。こういうことを言うと、お前は自分に酔っているのかと言われますが、酔わなきゃやってられません。健全な日本社会を次世代に残すという強い信念をもちつつ、謙虚に学び、大胆に思考し、また謙虚に行動する、それが当会の理念です。だからこそ、自己を肥大化させるSNSメインの活動ではなく、謙虚な態度で人と関わるというリアルな活動を優先しているわけです。

③「陰謀論」ではなく、科学的に正しい知識と深い思考を基に行動

第一印象でほぼすべてが決まってしまいます。残念ながら、当会も同じです。マスクについて考えるための会であっても、「マスク」と聞くだけで、「あーそっち系ね」となってしまうのはつらく悲しいことです。ここで当会のマスクに関する見解を共同代表である私が責任をもって公言いたします。

当会は、反マスクではありません!有力な論文から、マスクには飛沫を防ぐなどの科学的メリットがあると認識しております。その一方で、これもまた有力な論文からマスクにはパフォーマンスの低下などの科学的なデメリットや社会的なデメリットがあるとも認識しています。したがって、どちらかに偏るのではなく、ここで調べて思考して判断するべきだという、ことを主張しております。

今の社会はマスクはほぼ強制です。それは同調圧力によるものが大きいと思います。マスクをつけること自体というよりも、あまり調べずに周りに流されているという現代のマスク社会こそが日本の今を象徴していると思います。政治に対して、危機感を覚えていない人が今増えています。しかしながら、日本の政治は危機的です。これはただ危険をあおっているのではありません。よく言われる日本の給料が30年間上がっていないというのも一例です。子供を持つことはおろか、結婚することさえも経済的に難しくなっています。ほかにも科学的に南海トラフ地震が近いとわかっていながらも、周りが大丈夫そうだからという理由で対策を立てていない。防災に関心がない。そんな閉塞感漂う日本人がいかに多いことかと、高校生ながら感じてしまいます。これは偽善で言っているのではないのです。自分の愛している人たちや、次の世代が悲しい結果になるという残酷な未来を私は何としてでも避けたいのです。話がそれました。それがマスクと何の関係があるの?と思われるでしょう。事実、これらはすべてつながっています。マスクと経済、国防、防災などすべてにまつわる共通点。それは、「自分で思考していますか?」ということです。偉そうなことを書いておきながら私もできていない部分が多々あります。なんとなく周りに合わせて楽な道を選ぼうとすることばかりです。しかし、そうやって横着した結果、大切な人たちを傷つけ後悔するなんてことだけは絶対に避けたいです。今から考えれば、後悔する必要はなくなります。マスクという身近な問題を通して、コロナ、医療、科学、政治、哲学とどんどんと視野を広げていく、そんなきっかけを作るために、会を立ち上げました。だから、もし調べて考えた結果、マスクは必要となるなら全く問題ないと思います。そのうえで異なる意見と議論できれば、最高です。そんな機会を我々は全力で作っていきます。はっきり言って周りからは変人と思われています。でも、どんなに言われようとも後で後悔すること、次の世代に後悔させるようなことだけは絶対にできません。だから、何を言われようとも信念を曲げることはできないのです。冷静に、謙虚に、意見が変わることもあるかもしれない、それでも信念は曲げない、というのが私の根底にあります。


最後に、先日生物ドキュメンタリー番組のダーウィンが来たを視聴しました。その時はフグが取り上げられていました。そこで見た内容を書いて記事を終わります。ミズダコという大きなタコが、とあるフグの卵を食べているのを、フグのお父さんが発見します。フグはせいぜい25センチほどで数メートルのミズダコにかなうわけがありません。ですからフグのお父さんは初め卵を守らずに逃げ出します。そしてミズダコがもうすぐで卵を食い尽くしてしまうという瞬間に、フグのお父さんが帰ってくるんです。おそらくフグのお父さんは自分が食われるとわかっていながら、ミズダコを攻撃し、卵を守るために必死で戦います。もちろんそのあと、フグのお父さんはミズダコに捕まり、食べられてしまいました。そして満足したミズダコは去っていきました。フグのお父さんは、卵をわずかながら守りました。おそらく、その卵から生まれたフグもいずれは卵を産み、そして守り、次の世代につながっていくんです。この話から私は決して自己犠牲は素晴らしいなどというつもりはありません。ただ、次の世代につなごうとすること、それ自体が生命なのだと思いました。自分の行動が次の世代につながる。自分の姿を見た次の世代が、また次の世代につなげてくれる。だからまずは、身の回りのことを少しだけ考えてみませんか。はじめは意味がないように思われても、いづれは大きくなります。

あなたが社会を考えはじめることが、必ず誰かを救い、必ず誰かが繋いでくれる。

そんなことを頭の片隅に入れながら、社会について考えると、閉塞感が少しは消えていったというのが私の経験です。新鮮な衝撃を受けました。


長尾知毅

マスクを自由にする会

マスクは本来、任意です。しかしながら、近年の日本は同調圧力により、強制と化しています。 そんな日本社会に異議を唱えるため高校生で立ち上がりました。 つけたい人はつける、つけたくない人はつけなくていい、そんな「当たり前」を当たり前にしませんか?

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